老人のたわごと　２４

動物の異変予知能力

　我が迎賓館の周囲の森で、蝉が我が世の春を謳歌して鳴き続けています。しかし、ちょっと変です。例年ですと今頃は熊蝉のシャンシャンシャンという猛烈な一斉射撃なのですが、今は、油蝉、ミンミン、そしてツクツク法師、夕方になればヒグラシです。確かに熊蝉も鳴いているのですが、一斉射撃ではなく、ちょっと弱々しい鳴き方に感じます。
　何か天変地異の前兆でしょうか。よく動物の予知能力が言われています。スリランカの自然動物園で突然、象が騒ぎ出したとか、象に観光客を乗せていたのが突然、静止も聞かず丘に向かって走り出し、そのお蔭で観光客が津波から助かったとかが知られています。
　昔、ある営業マンが戸別訪問で電池を売るのに、ハット気がついて、
「奥さん、いま、見ましたか？　蟻が大移動しているでしょう？　これは洪水の前兆です。いまのうちに備えて懐中電灯の電池をとりかえておきましょう」と売り込んだ話をその営業マンから直接聞いたことがありました。

　阪神大地震が起きたのが平成７年の１月１７日午前５時４６分でした。実はこの１年前に東京大田区の実家を片付けて、９０歳を越えた両親を関西に引き取ったのです。その時に東京の友人は「いま、地価が下がり続けているのに、東京の土地を売ってしまうのは大馬鹿者だ」と忠告され、「いや、東京はもうすぐ大地震が来て土地も何もなくなってしまうのを避けるんだ」と本気で言っていました。
　その前には、北海道や東北で大きな地震が相次ぎ、次は東京だと自分なりに確信していたのです。そして、私が関西に移ってからの３０年は、全く地震と言うものがありませんでした。地震という言葉を忘れてしまう程でした。
　この平成７年１月１７日。当時は、既に定年を迎え、退職はしていましたが、まだ顧問として会社には顔を出していましたので、この時間には既に会社に行く準備で着替えようとしていたその瞬間でした。
　先ず、ガタガタと地震がやってきました。家内とテーブルに向かい合っての食後でしたが、すぐに先ずストーブを消しました。その直後、停電したと思った途端、ガラガラと大きな揺れに突き飛ばされるほどの衝撃が襲ってきました。真っ暗な中で、家内と大声で叫びあいながら、それぞれの後ろの戸棚を必死で押さえあいました。勿論、真っ暗な中でです。
　それでも戸棚が傾き、ガチャガチャと中のガラス食器が落ちて割れる音がし続けます。
必死で戸棚を押さえながらお互いに無事かどうかを暗黒の中で確かめ合いました。激しい揺れが随分長く感じました。その揺れている最中に、
「ああ、やはり、これで東京は壊滅したな」と案じていました。何の疑いもなく、それが東京で起きた大地震が関西まで揺らしているのだと信じきっていたのです。
　どれくらいの時間でしょうか、やっと揺れが徐々に収まってきて、やっと生き延びたと実感しました。勿論まだ真っ暗です。揺れが収まって、２階から息子が降りてきて、お互いの無事を確認し、懐中電灯を捜しました。勿論、電池が切れていて、先ずスペアの電池を暗がりの中で探して交換し、やっと生命を感じる灯火の明るさにたどり着きました。そしてローソクもつけて安堵の時間を取り戻しました。
　次は、ラジオです。これも電池を入れ替えてやっと外部の情報に接することが出来るようになりました。暫くして聞いたのが震源地が淡路島で震度が６とか言ってました。
「エーッ　嘘だろう！　それに震度が６なんて、遥かにもっと大きかったよね」私の震源が関東だとの思い込みが崩れた瞬間でした。
　テレビを見れば災害の第１報も見られるでしょうが、まだ停電でテレビは駄目です。外に出てみると、まだ明けやらぬ薄暗さの中で、西の空が青白い瞬光で稲妻のようです。地震のときの怪光か或いは電線のショートかは判りませんが不気味な光でした。やはり外に出てきていた近所の人とお互いの無事を確認しながらまた家の中に戻りました。
　見ると床の絨毯の上に点々と血痕があります。どうやら戸棚から落ちて割れたガラス食器の破片を踏みつけて足の裏を切ったようでした。しかし、それまでは気が張っていたからか、痛みを全く感じませんでした。
　ローソクをかざして、周囲を点検すると色々なものが散在し、大切なゴルフバッグも倒れていました。しかし、応接間の並んだ高価なウイスキーの壜は絨毯の上に落ちているのに割れてはいませんでした。これは嬉しかったです。
　
　６時半には取り合えず自分の車を運転して会社に向かいました。まず、信号がついていないので恐る恐る走りました。やっと明るくなってきて、周囲の状況も見え始めました。
踏み切りに行っても、電車は走っていません。信号機も点いていません。家の軒先が落ちて凄いことになっている家の前を通り過ぎました。家の人たちが寝巻きのまま外に出ているのですが、不思議と異常なほどに誰も騒がず、静かだったのが異様でした。何か放心状態の様子です。
　道路の真ん中から水が噴水のように吹き上がっています。水道管が破裂したのでしょう。
道路に面したビルの窓ガラスが割れて道路に無数にガラスの破片が撒き散らされていました。
　時間が７時を過ぎて、丁度、大阪大学の基礎工学部の近くに来たときです。大学の化学工学部の窓から大きな火の手が上がっています。その煙が真っ青な冬の空にもくもくと巻き上がり、上がったばかりの太陽に照り返されています。澄み切った青空と朝日に映える煙は異常に美しいものでした。
　誰も気がついていないのか、騒いではいません。消防車の音も聞こえません。しかし、会社に向かう途中なので見過ぎして先を目指しました。その時にやっとサイレンがかすかな遠くから聞こえてきましたが、それがどこに向かっているのかは判りません。
　暫く走ると、今度は渋滞です。それもいつもの通勤の渋滞とは違って動かない程の渋滞でした。
　仕方なく、良く知った脇道んいそれましたが、そこも渋滞でした。その途端、大きな余震です。街路灯が船のマストのように大きく左右に振られています。さあ、車を捨てて、どう逃げようかと迷いました。これも恐怖でした。
　しかし、やっと逃げる前に収まり、胸をなでおろしました。

　いつもは１時間で着く会社なのですが、着いたのは１０時過ぎです。一階の私の顧問室に行くと、まずガラス窓が完全に割れてありません。暖房も止まっています。電話は辛うじて通じていましたので、現役のときの最後に務めた場所に電話して、みなの無事を確認しようとしたのですが、来ていないものとは連絡がつかないので無理でした。
　寒いし、皆の邪魔になってもと思い、直ぐに帰ることにしました。帰路のカーラジオで新幹線の橋が落ちたとか、神戸で火災が発生していると初めて知りました。行きがけのカーラジオでは、まだ情報が全てを把握できておらず、淀川の橋が渡れないとか通勤電車の不通の情報とか、まだ核心に触れる情報ではなく、この帰路のラジオで刻々とすざましい痛手の全貌が徐々に判りだした模様でした。

　帰路の幹線道路はもっと凄い渋滞で、山道に逃げたのですが、頂上付近が積雪で凍結していて思いかけずも怖い苦労でした。帰宅すると既にお昼を過ぎていましたが、停電も復旧してテレビで初めて状況を知ることが出来ました。震度も激震の７に変えられ、やっと納得した次第です。それにしても関東ではなく、淡路島、神戸が震源とは驚きでした。

　これから先は皆さんもご存知のとおりです。しかし、東京のテレビで知ったような顔で評論家がコメントしているのを見ると腹のそこから憤慨しました。実際の被害を知らず、どうもたかをくくっていたようです。

　実際に神戸で被害に会い、家族を失った方々も多く周囲におられました。その方々の話をあとで聞くと恐ろしいなんて生易しい物ではなかった事がわかります。
　テレビが空中を飛んでいったとか、部屋のソファーが左右入れ替わっていたとか、天井にピアノの跡がついたとか、どうも大袈裟な気がしていましたが、これが事実だったことは色々な方々の話から真実だったことが判ってきました。
　我が家はこれらの被害の一番外周で、家の壁が割れたり、扉がずれて開かなくなったりの程度でしたが、このあと数日後に神戸の現地に行ってその凄さを目の当たりにすると、想像を遥かに超えた災害であったことが解りました。事実、我が家のピアノも台座からずれ落ちていましたし、冷蔵庫もだいぶん位置がずれていました。

　よくこのあとに、不時の災害に備えて枕元に防災袋を置いてと言ってましたが、阪神の災害の直面者は「あんなものはその瞬間にすっ飛んで自分の周りは瓦礫で埋まって何も解らなくなる」と言ってました。一番欲しかったのは頑丈な靴だそうです。瓦礫を分けて歩くために要るそうです。今から凄いのが来る関東の方への助言です。

　阪神大震災の話をすれば尽きません。ただ、是非言っておきたいことは、災害後、小学校の運動場で皆が救援物資を待って騒いでいるときに、一番しっかりして秩序を作りながら皆のために必死で動いたのが、あの、茶髪の普段はだらしない格好の若者です。老人たちが文句ばかり言って、動かなかったところをチャキチャキと動いて救援の方々と折衝したり、状況を報告したりしっかりと動いたのがこの茶髪の連中でした。パチンコ屋の前にたむろしているアノ茶髪がこう言う災害時にはまるで変わるのを目の当たりにしました。
　
　それと、我々がいつも見ている風景が、突然、倒れ掛かった家だったり、ビルだったりすると、まさに恐ろしいような異常を感じます。通常見ている風景に慣れている我々の視覚に倒れ掛かった家々は、何か恐ろしさを感じさせます。
　大幹線道路がパックリ割れているのも同じ光景で捉えられました。我々の通常の視覚にはない光景は恐怖を感じさせられます。

　この災害の直後に、東京の友人や親戚から沢山のお見舞いの電話を頂きました。それに応答するのに困ったことがありました。
　我が家にも、家を失った子供の友人の家族が避難してきていました。電話の声がその方々にも聞こえるので、その前で、
「いやぁ　お蔭で我が家は何とか無事で・・・」とは言い難かったのです。

　東京から見舞いの電話をくれた方々はちゃんとメモしてあります。時々東京に行ってこのときの話になると、誰と誰が見舞いの電話をくれたと話すと、恐縮して
「いやぁ　電話が通じなくて弱ったよ」と言い訳を言ってます。
　阪神大地震でも動物の異変は色々と取りざたされています。熊蝉の心なしか控えめな鳴声に、どんな予兆があるのか心配です。東京の方々はくれぐれも覚悟しておいて下さい。しかし、私もよく東京には行くのですが、その時に起きないように祈っています。

　

　